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東京地方裁判所 平成6年(ワ)19449号 判決 1996年3月25日

原告

甲野太郎

被告

株式会社フジテレビジョン

右代表者代表取締役

日枝久

被告訴訟代理人弁護士

渡部喬一

仲村晋一

小林好則

松尾憲治

小林聡

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年九月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、被告制作の原告に関するテレビ放送によって名誉を毀損されたと主張して、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

二  前提事実(争いがない。)

1  被告は、放送法による一般放送事業等を目的とする株式会社であり、「フジテレビ」の名称で、テレビ番組を放送している。

2  被告は、昭和六〇年九月三〇日、午前八時三〇分から午前一〇時ころまでのフジテレビの番組「おはよう!ナイスデイ」において、株式会社伊勢丹(以下「伊勢丹」という。)に対して「脅迫状」が送付されたとされる事件(以下右「脅迫状」を「本件脅迫状」といい、右事件を「本件脅迫事件」という。)と原告との関連性を取り上げた番組を放送した(以下「本件放送」という。)。

三  原告の主張

1  (名誉毀損事実)

本件放送は、これを見た一般視聴者に対し、原告が伊勢丹に脅迫状を送った犯人であるとの印象を与え、原告を侮辱したものであり、これにより、原告の名誉が大きく侵害された。

2  (違法性ないし責任―本件放送の真実性・相当性の不存在)

原告は本件脅迫状を送ったことはなく、本件放送の内容は虚偽である。

被告が、本件脅迫状を送ったのが原告であることの根拠として掲げる事実は、いずれもその根拠となるものではない。特に、被告が重視する安本美典による本件脅迫状等の文章の分析についても、原告作成として比較対照のため取り上げた文章自体、そもそも原告が書いたものではない。

被告は、本件放送に先立ち、原告に一度も取材せず、極めて杜撰に番組を作成している。被告の放送は、全国ネットを通じて全国に放送されるものも多く、影響力は極めて大であるから、被告は、確実な裏付けをとって真実を放送すべきであるのに、漫然と虚偽の本件放送をしたものであり、その違法性、責任は重大である。

3  (消滅時効の不成立)

原告は、本件放送時、勾留中であり、テレビ、ラジオの視聴もできず、接見禁止も付されていて、本件放送を知らなかった。原告が本件放送を知ったのは、支援者からその内容を知らされた平成六年九月中旬である。

本件放送が全国放送されたからといって、原告が、放送後ほどなくこれを知ったとするのは根拠がないし、原告が、昭和六〇年当時、原告の友人が原告に関するテレビ放送をすべてビデオ録画していると述べたことは、虚偽の事実等を報道されないようにプレッシャーをかけるためであり、事実ではない。

4  (損害)

原告は、本件放送により、放送当時の社会的評価が低下させられたことに対し、その時点で発生した損害賠償請求権に基づき本件請求を提起したのであるから、その後に原告に生じた刑事手続等の事情によって名誉毀損の成立が妨げられることはない。

四  被告の主張

1  (名誉毀損事実の不存在)

被告は、本件放送において、本件脅迫事件の犯人が原告であるとは断定しておらず、本件脅迫事件の犯人が原告であるとの疑惑があり、右疑惑が各マスコミで取り上げられているという事実を放送しただけで、これを見た一般視聴者は、原告が本件脅迫事件の犯人であるとの印象を持つものではない。

2  (違法性ないし責任の阻却―本件放送の真実性・相当性)

本件放送は、脅迫事件という公共の利害に関する事実について、被告が公共の目的をもって放送したもので、次のとおり、その内容は真実であるか又は被告がそれを真実であると信じることについて、相当な理由があったから、本件放送については違法性又は責任が阻却される。

(一) 伊勢丹に対する脅迫事件については、テレビ放映の三日前(昭和六〇年九月二七日)に、社団法人共同通信社及び株式会社時事通信社(以下「共同通信社等」という。)から、「捜査本部の調べで伊勢丹に対し、同社のスキャンダルを原告が暴露しようとしているという内容の脅迫状が、昭和五九年一〇月に原告のいたロンドンから届いていたことがわかった。」との内容の記事が配信されてきた。

(二) 翌九月二八日には、日刊スポーツほかの各新聞が、原告が伊勢丹に脅迫状を送ったのではないかとの疑惑について報じた。

(三) 被告は、警視庁の捜査本部と連絡をとり、同捜査本部において、本件脅迫状を原告が書いたものにほぼ間違いないと見ているとの情報を得た。

(四) 被告は、文章心理学の第一人者である産業能率大学教授の安本美典に本件脅迫状の分析を依頼し、同人から、原告が本件脅迫状を書いたことにほぼ間違いがないとの分析結果を得た。

(五) 被告は、取材の結果、原告と伊勢丹とが昭和五三年九月から取引があり、同社の部長とも親しい関係にあることなどの情報を得た。

以上の事実を総合し、また、本件脅迫状の内容にも照らすと、本件脅迫状を原告が送ったことは真実であり、また、被告が右事実を真実であると信じたことには相当の理由があったというべきである。

3  (消滅時効)

原告は、次のとおり、本件放送後、遅くとも数日ないし数週間以内である昭和六〇年一〇月ないし一一月中には、本件放送の内容を認識し得たと認められるところ、本訴提起は右時点から九年以上経過しているから、被告は、不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効を援用する。

右「おはよう!ナイスデイ」は、平日の午前八時三〇分から約一時間半、関東地方を中心としつつ、全国ネットを通じて全国的規模で放映されているので、親族、友人、知人等がその番組を視聴し、放送後遅くない時期に原告にその情報を伝達していると考えられ、特に、原告は、昭和六〇年当時、自らに関するテレビ放送を友人がビデオテープに録画していると明確に述べており、強力な情報収集力があったのであるから、勾留されていたとしても、本件放送の内容を右時点で知っていたというべきである。

4  (損害の不発生等)

原告は、裁判によって、原告の社会的評価の低下を回復し又は精神的損害の賠償を求めるための請求をすることはできない。

原告は、本件放送後、殺人未遂罪及び殺人罪で有罪判決を受け、右各有罪判決の報道等により、現時点ではその名誉は著しく低下し、遠い過去の本件放送は、一般国民の記憶の外にあって原告の社会的評価に影響するものではなく、本件放送による社会的評価の低下を回復する裁判を求めることはできない。

また、原告主張によれば、原告は本訴提起時に近接した時期に本件放送を知ったというのであるから、本件請求は、遠い過去に原告の名誉を傷つける放送があったことを認識したことによる不快感という程度のものについての賠償を求めたものであり、本件放送がされるに至ったのは、原告が、妻を銃撃によって失った悲劇の主人公として、自らを報道機関に売り込んだり、疑惑の指摘後も報道番組や雑誌等に積極的に登場してきたことも大きいことを考えると、原告が損害賠償に値する精神的な損害を被ったとみることはできない。

第三  当裁判所の判断

一  本件番組と名誉毀損

1  乙第一、第四号証及び検証の結果によれば、本件放送の内容は、以下のとおりであることが認められる。

(一) 本件放送は、「甲野が再断食! 伊勢丹脅迫の新事実」として新聞のテレビ欄に予告されたものである。

(二) 本件放送は、冒頭、画面の全体に「甲野太郎に新たな疑惑!「伊勢丹」へ脅迫状!!」とのテロップが流れ、アナウンサーが、「昨年の秋、甲野がロンドンにいるとき、同じロンドンから、こちらの伊勢丹本社に一通の脅迫状が届いていることが明らかになりました」と述べ、続けて本件脅迫状の内容及び原告と伊勢丹との関係がかなり古くからのものであることが述べられる。

その後、「産業能率大学教授安本美典(文章心理学)」とのテロップとともに、安本美典(以下「安本」という。)が登場し、まずアナウンサーが、安本に対し、原告には本件脅迫状を作成したという疑惑があるということで安本の意見を求める。その後のアナウンサーと安本の発言は、概ね別紙記載のとおりであるが、安本は、本件脅迫状の、一文(センテンス)の平均の長さ、文章中の漢字の含有率をそれぞれ横軸、たて軸にとって作成されたグラフを示しながら、原告の文章と本件脅迫状の文章の特徴が非常に似ていることを述べる。アナウンサーは、さらに、「何ていいますか、表現方法といいますか、こういうところが、そのいかにも甲野太郎じゃないかというように感じるところは、具体的にいいますと、どんなところがございますかね」と尋ねると、安本は、原告の文章は、ある一部分だけはかっこいいが、前後関係で読み比べるとすぐ矛盾が出てくる、本件脅迫状も、書き出しと内容が矛盾する、また、脅迫状の作成者は、簡単に殺人犯人と疑われている原告側に立って本件脅迫状を作成しているなどの点をあげて、「率直にいえば、数字的な根拠をあげるまでもなく、もう、甲野の文章といえるべきものではないでしょうかね。」と述べる(右安本の発言中、「甲野太郎「伊勢丹」脅迫!?」とのテロップが出る。)。これを受けて、アナウンサーは、「この脅迫まがいの手紙が、伊勢丹に届いたのは、去年、甲野がロンドン滞在中のできごとなんです」と述べるとともに、安本が本件脅迫状は原告が書いたものにほぼ間違いないと言っていること、原告はデパートの内幕物の小説を書いて、発表していること、ロンドンで日本語のワープロを使用していることから、「やはりこれ、甲野が書いたものと思わざるをえない、疑惑はかなり深いものになっているわけなんです」と述べる。さらに、原告の妻である花子の、本件脅迫状を見たことはなく、原告が書いたとしても冗談じゃないですかというコメントに対し、「こんな言い方を相変わらず、花子夫人しているのです」などと述べた。

2  ところで、テレビ放送が他人の名誉を毀損するものであるかどうかは、一般の視聴者が、当該放送を通常の注意をもって視聴した場合に、構成等を含めた当該放送内容全体から受けるであろう印象を基準として判断するのが相当である。

本件放送においては、確かに、原告が脅迫状を送った「疑惑」があることを述べるにすぎない部分もある。しかし、本件放送は、前記1のとおり、冒頭のテロップから、原告に脅迫状作成、送付の疑惑があることを述べ、本件脅迫状を作成したのは原告にほぼ間違いないとする文章心理学の専門家を登場させた上で、アナウンサーも右分析に加えて、複数の根拠を述べて、本件脅迫状を原告が書いたものと思わざるを得ないなどと述べ、これを否定する原告の妻の発言に対しても懐疑的なコメントを付しているものである。

このような全体の構成等に照らせば、本件放送は、視聴者に対し、原告が本件脅迫状を書いたということを印象づけるものといえ、本件放送を見る一般視聴者は、全体の構成、専門家とされる安本のコメント、アナウンサーのコメント等から原告が本件脅迫状を差し出した犯人であるとの印象を受けるものと認められる。

さらに、本件放送では、アナウンサーによって、本件脅迫状について、これが事実なら「強要罪」になると述べられており(前掲各証拠)、これらの点を総合すると、本件脅迫状を原告が作成、送付したとの印象を一般視聴者に与えることは、放送当時の原告の社会的評価を低下させ、原告の名誉を低下させるものと認めることができる。

二 本件放送の真実性、相当性

1 被告は、本件脅迫状を原告が作成、送付したことが真実であると主張する。

(一)  しかし、被告がその根拠として掲げるもののうち、共同通信社等による配信記事及び他社報道機関による報道は、その内容自体明らかでなく(本件放送の担当ディレクター(日高秀実)の陳述書(乙第六号証)によっても必ずしも明確でない。)、また、これらが存在するからといって、事実の存否を直ちに証明するものではない。原告が本件脅迫状を作成したとする警視庁の情報についても、その入手元、内容が不明であり(日高秀実の右陳述書によっても明らかではない。)、その後の捜査状況(原告は、この件に関して、捜査機関から取調を受けたとは認められない。)から考えても、右情報が真実であったかどうかは明らかではない。さらに、原告と伊勢丹との関係が深いことは、本件脅迫状を原告が作成したことに関しては間接的な事情にすぎない。

(二)  そこで、被告が根拠として重視する安本の分析結果について検討する。

本件放送及び裁判所宛の陳述書(乙第五号証)において、安本は、本件脅迫状を原告が作成した可能性が極めて高いと述べる。

その根拠の最大のものは、本件脅迫状の一文の長さ及び漢字の使用頻度が、原告が書いたとされる文章と同様の傾向を示すというものである。

しかし、まず、その比較対照された原告の「声明文」が、原告自身によって作成されたものであるかどうかは、必ずしも明らかではなく(原告は、準備書面において、声明文は弁護士の草案に基づく旨主張している。)、また、この点をひとまずおくとして、同一人の書く文章について、一文の長さ、漢字の使用頻度について一定の傾向があり、かつ、本件脅迫状の文章と原告が書いたとされる文章には、ある程度類似した傾向か認められるとしても、文章中の一文の長さあるいは漢字の使用回数について、その程度の類似性を有する者は社会に多数人いることが予測され、右の程度の類似性だけでは、両文が同一人によって作成されたものと認めるには、かなり無理があるものといわざるを得ない。

そして、その他の本件脅迫状が原告の作成によるものであるとして掲げられた根拠(文章に矛盾があること、原告側に立った文章であること(以上、本件放送)、文体が「であります」調であること、一段落の平均文章数が類似していること、海外からの封筒の宛名の書き方が類似していること(以上、陳述書))などは、いずれも、原告が本件脅迫状を作成したと認めるには間接的に過ぎて決定的なものとはいえず、これらを、先の分析結果と合わせ考えたとしても、本件脅迫状を原告が書いたと認めるには足りないというべきである。

(三)  右(二)のとおり、安本の分析によっても、本件脅迫状を原告が作成したとは認められず、被告が主張する他の根拠も右(一)のとおり間接的なものか又は根拠とするに足りないものである。

したがって、本件全証拠によっても、原告が本件脅迫状を作成し、伊勢丹に送付したとの事実を真実と認めることはできない。

2 被告は、右安本の分析及び関係各事実によって、本件脅迫状を原告が作成したと信じたことは相当な理由があると主張する。

ところで、被告の本件放送は、系列局等を通して全国にテレビ放送され、大きな影響力を有するもので、かつ、本件は犯罪の嫌疑に関連する事項であり、一つ誤れば、人権を侵害する可能性の極めて高い事項であるから、被告は、慎重に取材活動を行い、確実な根拠に基づいて番組を作成し、放送すべき義務がある。

確かに、被告は文章心理学の専門家である安本に本件脅迫状の分析を依頼したうえ、右安本の意見を踏まえて本件放送を行っている。

しかし、安本の分析は、その内容から、本件脅迫状を作成したのが原告であると認めるための根拠としては、決して十分なものでないことは、右認定したとおり明らかであり、被告主張の他の根拠(前記のとおりいずれも間接的なものか根拠とするに足りないものである。)を総合して考慮しても、本件脅迫状を原告が作成したと認めるだけの根拠がないことは明らかというべきである。

そうすると、これら被告主張の根拠に基づいて、被告が、本件脅迫状を原告が作成したと信じ、本件放送を作成し、放送したことに、相当な理由があるとは認められない。

三  消滅時効の成否

被告は、被告の放送の影響力の大きさや原告の情報収集力の高さから、原告が、本件放送を、放送後遅くとも数週間内には知っていたと主張する。

しかし、被告は、原告がいつ、誰から本件放送を知ったかについて、明確な主張をせず、単に、右原告の情報収集力の高さを主張し、親族、友人、知人の存在等から原告が放送後間もなく本件放送の存在を知ったであろうとの推測を述べるのみである。

他方、弁論の全趣旨によれば、原告は、未決勾留中であり、自由にテレビ、ビデオの視聴ができる状況になかったこと、長く接見禁止も付されていたことが認められる。そうすると、原告に関して極めて多数の報道があったこと(公知の事実)を考慮に入れても、原告が本件放送を被告主張の時期に知ったとは到底認めることはできない。

四  損害発生の存否等

1  被告は、本件訴訟は、名誉回復を求める趣旨があるところ、原告は、その後の有罪判決等で社会的評価が低下しているので、本件請求は認められないといい、また、本件訴訟は、原告が遠い過去の時点に右内容のテレビ放送があったことを知ったことによる不快感に基づくもので、原告の当時のマスコミに対する対応等も考慮すると、原告は、損害賠償に値する精神的損害を被っていないと主張する。

2  しかし、本件放送が、放送当時の原告の社会的評価を低下させ、原告に損害を与えたというべきであることは、右一のとおりである。原告は、本件訴訟において、本件放送が行われた時点において原告が有していた社会的評価について、その低下させられた評価にかかる損害の賠償を求めているのであるから、その後、原告の刑事事件につき複数の有罪判決が出されたこと(当裁判所に顕著な事実)によって原告の社会的評価が低下したとしても、本件放送当時に被った社会的評価の低下という損害の賠償を求められなくなるものではないと解すべきである。

また、原告がテレビ、雑誌等の媒体に自ら登場して種々の発言等を行っていたこと(公知の事実)は、損害賠償額において考慮されるものではあるが、このことにより、本件放送当時に被った社会的評価の低下という損害の賠償を全く訴求できないわけではないというべきである。

五  損害

本件放送の内容、本件放送の一般国民に対する影響、当時の原告が享受していた社会的評価の程度、前記本件放送に至るまでの原告のマスコミに対する対応等諸般の事情を考慮すると、本件放送によって原告が被った損害を賠償するには二〇万円をもって相当と思料する。

第四  結論

よって、原告の本件請求は、被告に対し、金二〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六〇年九月三〇日から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を請求する限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山﨑恒 裁判官窪木稔 裁判官柴田義明)

別紙<省略>

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